2015年6月



第25回 三鉄 駅からウォーク  6/20


6月20日の土曜日。
この日は『第25回 三鉄 駅からウォーク』を開催。参加人数は16名。
参加費は1150円で往復乗車券代と保険代になります。
今回は【釜石駅】より駅周辺や被災地を散策しました。

9時13分盛駅発の三陸鉄道へ乗車! お喋りしながら約50分間、釜石駅までのんびり過ごされました。
10時5分に釜石駅へ到着! トイレ休憩後、駅前広場で準備体操を行い、 最初の見どころ『薬師公園』を目指しました!
道の途中『かっし川』にて鹿が2頭、 川辺にいました。可愛かったですね〜!
釜石市内の街中に『薬師公園』があります。 ここは津波避難場所に指定されている高台。階段を登ります!
参加者全員『平和観音堂』『観音寺』で参拝し、更に階段を登ります!
公園には「平和像」や弾薬の形をした「忠魂碑」があります。
忠魂碑とは、日清・日露戦争後に戦死者を弔う為、 各地に建てられているそうです。 砲弾など武器・兵器をかたちどったものが多く、 鉄のまち釜石の忠魂碑も砲弾をかたちどり「鉄」で作られました。
<戦争による釜石の歴史> 釜石は東北で唯一の製鉄所をもつ工業都市。 太平洋戦争において、大規模空襲にみまわれることが予測されていました。 昭和20年(1945年)7月14日、釜石は本州発の艦砲射撃を受け、 砲撃は12時10分から14時19分まで続き、 2565発もの砲弾が撃ち込まれました。 第1回目は製鉄所を中心に艦砲射撃を受け、大きな被害がでました。 防空壕に避難した市民の中には砲弾の破片や爆風で死傷する者もいて、 艦砲射撃により火災が発生し、街は焼野原となりました。 8月9日、長崎に原子爆弾が投下された同日、釜石も2度目の艦砲射撃を 受けました。この日の砲弾は12時47分から14時45分まで続き、 2781発の砲弾が撃ち込まれました。
「平和像」は釜石永遠の平和を祈念するため、 昭和27年(1952年)から計画され、 沢田元釜石市長が市の予算に計上し、 平和像を薬師山上に平成21年3月に建立されました。
その『平和女神像』の前で記念写真を撮影!
次に向かった先は『石応禅寺』です。 ここは津波が到達した場所になります。
山門の近くには慰霊碑があります。 本堂を参拝し、少し休憩を取りました。
移動を開始。東日本大震災の津波浸水深の位置を示す パネルを発見することができました。
震災時、実際に避難された場所を歩きました。 そこは高台であり、海の見える「避難路」です。
広場で休憩しオヤツタイム! 持ちよったオヤツを交換しながら仲良く過ごされました。
この後、『イオンタウン釜石』へ向かいました。 津波で流された「のんべい横丁」跡地を沿って歩き 12時30分頃に到着。ここで1時間の昼食時間を取りました。 食事後はお買い物される方も…!
昼食時間を終え、徒歩10分の釜石駅前広場に到着。
ここには『大島高任の像』『ものづくりの灯を永遠に』があります。
大島高任が、良質な鉄鉱石や環境を活かし、 近代製鉄法による鉄づくりに成功した地が釜石! その釜石製鐵所「高炉の火」から授かった灯がここにあります。
『釜石復興の鐘』は、 参加者が次々にゴーン!ゴーン!と力強く鳴らされました!
『三陸鉄道釜石駅』にも東日本大震災の 津波浸水深の位置を示すパネルがあります。 また、釜石といえばラグビーですね! W杯開催で盛りあがっていますよ♪
14時06分釜石出発の三陸鉄道へ乗車し 15時02分に盛駅へ到着。
これにてイベントは終了となりました。 ご参加ありがとうございました!
感想を伺いましたのでご紹介します。
「最高のウォーキング日和です。 平和観音様を初めてみて、楽しかったです。」 「津波後、初めて釜石に来たので、よかったです。 歩く距離もちょうどよかった。」 「いろいろ見て歩けて眺めながらお喋りしながら楽しかった。」 「知らないところを見て歩き、新しい発見や 色々な人と知り合えて良かった。距離もちょうど良かった。」
次回の開催をご案内いたします。
『第26回 三鉄 駅からウォーク』 <日程> 7月11日(土) <時間> 9時13分盛駅発〜綾里駅〜11時55分盛駅着 <集合> 8時30分に三鉄盛駅 <申込締切> 7/8(水) ※事前の申込みが必要 <参加費> 450円(往復乗車券・保険料) <持物> 飲み物 <内容> 【綾里駅】大船渡市指定文化財の不動滝を散策!
<主催・申込先・問合せ先> 三鉄盛駅ふれあい待合室 電話番号:0192−47−3542



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