ふれあいウォーキングのイベントを通して、
大船渡市の観光をご案内します!



【第1回】
【第1弾】 【第2弾】 【第3弾】 【第4弾】

【第2回】
<洞雲寺>
【前半】 【後半】

【第3回】
<長谷寺>
【前半】 【後半】

【第4回】
<さいとう製菓 工場見学>
【前半】 【後半】

【第5回】
<ノルディックウォーキング>
【前半】 【後半】

【お花見ウォーキング】
<盛川・吉野森神社・天神山公園>
【お花見ウォーキング】 【桜観賞編】

【第6回】
<鬼越えふれあい広場>
【前半】 【後半】 【鬼越えふれあい広場】

【第7回】
<洞雲寺・観世音菩薩像>
【前半】 【後半】 【洞雲寺・観世音菩薩像】

【第8回】
<洞雲寺・リアスホール>
【前半】 【後半】

【第9回】
<ノルディックウォーキング>
【前半】 【後半】

【第10回】
<鬼越えふれあい広場>
【前半】 【後半】

【第11回】
<赤崎方面>
【前半】 【後半】

【第12回】
<洞雲寺>
【前半】 【後半】

【第13回】
<赤崎方面>
【前半】 【後半】

【第9回】
【三鉄 駅からウォーキング】

<赤崎方面>


【第10回】
【三鉄 駅からウォーキング】

<盛町方面>


【第11回】
【三鉄 駅からウォーキング】

<猪川町方面>


【第12回】
【三鉄 駅からウォーキング】

<猪川町方面><鬼越えふれあい広場・長安寺>





今回のウォーキングは、大船渡市盛町にある自然や記念碑を辿る内容でした。
天神山公園にある「石川啄木の歌碑」や、明治33年の当時あった「今野屋」に
宿泊を記した石碑やそのエピソードなど、石川啄木に関連したウォーキングでした。
そして、昭和を代表する曹洞宗の僧侶「澤木興道老師」の最終行脚の地が、
ここ大船渡市盛町であり、その石碑が建てられていることも、みどころのひとつです。


三陸鉄道盛駅(出発) ⇒ 権現堂交差点 ⇒ 吉野森神社 ⇒ 
⇒ 天神山公園 ⇒ 蔵ハウス付近 ⇒ 盛町商店街 ⇒ 
⇒ 三陸鉄道盛駅(着)
@『中井大橋』

『中井大橋』の四隅には銅像が4体、建てられております。ひとつひとつ銅像には名前があり、 「やすらぎ」 「創造」 「調和」 「希望」 になります。そのうち現在「希望」の銅像が、東日本大震災の地震発生時に 崩れ落ち、市が回収して銅像がない状態になっております。早く「希望の銅像」が復活してほしい限りです。

中井大橋の下には 盛川 が流れ、平地の部分は 散歩コース となっていて、ジョギングやウォーキングをされている人を よく見かけます。それに遊具もあります。

土手には 桜並木 があり、春になると川沿いに満開の綺麗な桜の花を見ることができます。
A『槻の木』

気仙地方は気仙杉や桧、赤松、欅などの良材に恵まれており、欅の木に似た木で槻の木があります。違いは、欅の葉は赤く紅葉し、槻の葉は黄色く紅葉します。盛町の権現堂橋のたもとに立つ大きな木は、 欅ではなく 槻の木 だと言います。

それには逸話があり、現在、大船渡市日頃市町にある真宗「長安寺」のお話で、江戸時代にまで遡ります。山門を造営中、藩の御留木の欅を扱っていると伊達の殿様の耳に入り、 「これは欅の木ではなく槻の木…」と偽り、取り壊しを免れて建てることができたというお話。 その山門は、寛政8年(1798年)に出来た総欅造りの二層門になり、藩主伊達公との軋轢に依って、工事中止の命を受けた未完成の建造物であります。

欅の木と槻の木の見分けは難しいと言います。盛町の権現堂橋のたもとにある存在感のある立派で大きな木は、欅ではなく 槻の木 なのかもしれません。
B『吉野森神社』

権現堂橋のたもと付近の近くの高台に『吉野森神社』があります。 この神社には 「奥州しだれ桜」 という「大船渡市指定 天然記念物」の桜の木があります。 「奥州しだれ桜」は、街を見下ろすように枝が街へと垂れ下がり、 境内の入口に門のようにそびえたっています。 その存在は大きく、見事な木になっています。 春になり、ピンク色の桜の花が満開に咲いたら、 どれだけ美しい姿が見られるのかと想像が膨らみます。

境内には 土俵 もあります。土俵の大きさは小さく、子供が相撲をとるような大きさに感じます。 相撲は、国技でもあり日本古来の神事でもありますので、あって不思議はないですが、 神社に土俵があるのは今では珍しいように感じてしまうのは私だけでしょうか…。

それに、高台にある神社ですので、ここからの盛町の景色がまた素晴らしいです。
C『カラタチの実』
  『長寿の松』


大船渡消防署の裏通りには『カラタチの実』があります。カラタチはミカン科カラタチ属の落葉低木。原産地は中国の長江上流域。 日本には8世紀頃に伝わったとされています。樹高は2〜4メートルほどで枝には3センチにもなる鋭い刺があり、 この刺は葉や枝が変形したという説があります。 春に葉が出る前に5弁の白い花を咲かせ、花のあとには球形で緑色の実をつけます。 秋には熟して黄色くなります。花と果実には芳香があります。

鋭い刺は外敵の侵入を防ぐ目的で生垣としてよく使われていました。 果実は果実酒の材料にもなり、未成熟の果実を乾燥させたものは枳実(きじつ)と呼ばれる生薬になり、 健胃作用、利尿作用、去痰作用があるとされています。

大船渡消防署の玄関前にある赤松は 『長寿の松』 とされています。 東北屈指の大長者だった猪川村・稲子沢家から、1930年ほど前に、当時の気仙郡役所に移植された名木で、 消防署が入る前、気仙地方事務所(合同庁舎)時代にも、その見事な枝ぶりでありました。 この赤松を中心に庁舎が設計されたという話もあるほどです。

造園業者や樹木医たちが何度も世紀の“大手術”を行い、そして今 大船渡消防署の玄関前にある赤松は 『長寿の松』 と呼ばれるようになりました。
D『石川啄木の
  歌碑』

この記念碑に書かれている石川啄木の歌は『愁ひ来て丘にのぼれば名も知らぬ鳥啄めり赤き茨の實』です。 この記念碑は、石川啄木が岩手県盛岡中学校3年の時、明治33年(1900年)担任の富田小一郎先生に引率されて 修学旅行に出発しました。7月18日盛岡駅に集合し、一関、千厩、気仙沼、大船渡、盛、越喜来と訪れていきました。 石川啄木は、ここ大船渡市盛町も立ち寄られており、そのことを記念して歌碑が建てられました。 碑文は、啄木の親友・金田一京助の筆によるものです。

【当時のエピソード】
明治29年に「三陸大津波」が発生しました。その4年後の明治33年、石川啄木が 盛岡中学時代に修学旅行で気仙地域を訪れ、高田松原にも立ち寄っています。 そのとき、盛町の当時あった「今野屋旅館」に宿泊されたそうです。 その今野屋旅館では珍しいものを食されました。

また、三陸町吉浜のお寺の前にある「津波の犠牲者の石碑」をみて衝撃を受けました。 このお話は、同級生の船越金五郎の日記に記されております。
E『芭蕉の句碑』

『芭蕉翁句碑再建之記』 に書かれていることを記します。

「はるもやや けしきととのふ 月と梅」この句碑は、天保15年芭蕉翁の百五十回忌に 盛町の俳諧の方々が建立されました。
しかし、長い年月の間、雨風にさらされ、殊に昭和51年4月に天照御祖神社の火災の際、 焼けくだけ下方だけが残りました。
平成元年は俳聖芭蕉みちのくの旅3百年祭にあたり、私どもは諸先輩の残された尊い 文化遺産を後世に伝えるため、篤志家多数の御援助を戴き記念事業として 句碑を復元建立いたしました。 平成元年11月20日

写真 左側 にあるのが再建した句碑で、 右側 にあるのが火災で焼け砕けて残った句碑の一部になります。
F『天照御祖神社』
天神山公園には 『天照御祖神社』 があります。本殿は木造ではなく、コンクリートで建てられております。 昭和51年4月に火災があり、気仙大工の技術で建立されていた本殿が焼けてしまいました。 そのため、再建する際に二度と火災が起こらないようコンクリート造りになったそうです。 本殿以外 (旧本殿) は、そのまま木造であり、気仙大工の技術を堪能することができます。

合わせて『天神山公園』について、ここでご紹介いたします。 盛町商店街からすぐの場所で高台にあります。 商店街からは、まっすぐで急な階段や参道の入口から歩いて登ることができます。 自動車で登るにはアスファルトで舗装された 道路 があり、公園の頂上まで行くことができます。 高台にありますので、ここからの盛町の 眺め 絶品 です。

天神山公園には 遊具 があり、そしてたくさんの桜の木が植えられている桜の名所です。 春には花見が行われて大いに盛り上がる場所となっております。 また、初詣に訪れる人でいっぱいになる場所でもあります。 参道 の入口には 「紅ひがん桜」 という「大船渡市指定 天然記念物」の大きくて立派な桜の木があります。
G『澤木興道老師
  最終行脚之地』

澤木興道(さわきこうどう、道号:祖門、1880年6月16日 - 1965年12月21日)は、 昭和を代表する日本の曹洞宗の僧侶。三重県津市に生まれ、4歳で母を、7歳で父を亡くし、 澤木文吉の養子となる。1897年に永平寺に入り、1899年に出家。 佐伯定胤に唯識を学び、丘宗潭の命で熊本県の大慈寺に入り、 旧制第五高等学校の生徒に坐禅を指導する。 これより各地の道場を転々とし「移動僧堂」「宿無し興道」と称された。 1935年に總持寺後堂職となり、駒澤大学特任教授も兼任して、 学生の坐禅指導を行い、坐禅を必修科目にさせるなど徹底した坐禅教育を行う。 「何にもならんもののためにただ坐る」という只管打坐を貫き、 その一生を通じて実践して見せた。

現在その思想、指導方法はアメリカのスタンフォード大学にある曹洞禅センターにも受け継がれ、 パソコンで有名なアップル社を創設したひとりであるスティーブ・ジョブズ氏も曹洞宗の影響を受けていました。 このほかにも栃木県の大中寺に天暁禅苑を、京都府の安泰寺に紫竹林参禅道場を開いて坐禅の指導に当たり、 駒澤大学退任後は安泰寺で弟子の内山興正と共に後進の指導に当たる。遺体は死後に献体された。

その澤木興道老師の最終行脚の地が、ここ岩手県大船渡市盛町である。
H『旅の宿
  啄木十五の夏』

啄木(本名 石川 一)は、明治三十三年、旧制盛岡中学三年在学中の夏休みに、 級友6人と共に担任富田小一郎先生に引率され気仙沼から大船渡を経て釜石に至る三陸海岸を旅行した。

7月23日、啄木一行はこの地に当時あった「今野屋」に宿泊し、盛町の愛宕山に登って愛宕神社や王子陵を見学。 初めて見る海辺の町の旅情に触れた。その「今野屋」で啄木は珍しいものを食しました。それが「世界ふしぎ発見」の石川啄木特集のクイズで問題に採用され、 番組で出題されました。その答えは「ふれあいウォーキング」に参加された皆様だけが知るということで、秘密にしますね。

そしてこの碑は、啄木来遊百周年の記念として建立されました。 建立は、石川啄木三陸海岸来遊百周年記念実行委員会になります。

当時、この記念碑がある場所に「今野屋」はありました。 今は建物がなくなってしまいましたが、記念碑はその「今野屋」がある場所に、 建てたということです。
I『盛木町市場』
盛町の市日は盛木町市場が開設し、5日、10日、15日、20日、25日、30日と5日ごとの 日付に開催し、市場通りの道路の両端にお店が並んで、 獲れたての魚介類や収穫したばかりの野菜、果物、花などが売られています。

主要地方道と盛町商店街通りを結ぶ市道約100メートルの両側に出店が並び、 お客様は店主と会話を楽しみながら買い物をして、多くのお客様で賑わっております。







NPO法人 夢ネット大船渡 三陸鉄道盛駅活用事業

岩手県大船渡市盛町字東町裏16番地



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