【観光情報】
【吉浜駅に志村けんさん】

吉浜駅からのウォーキングイベントの様子でご紹介します。
【平成28年9月のウォーキング】
【平成28年5月のウォーキング】
【平成27年12月のウォーキング】
【平成27年5月のウォーキング】
【平成26年9月のウォーキング】
【平成25年10月のウォーキング】



第38回 三鉄 駅からウォーク  平成28年9月17日


9月17日の土曜日。
この日は『第38回 三鉄 駅からウォーク』を開催しました。
参加費は750円で保険料と往復乗車券代になります。
今回は20名が参加されました。ありがとうございました。

このイベントの目的は、沿線の史跡を巡って 地元の魅力を再発見、歩いて体を動かすことでの健康増進、 三陸鉄道の利用促進などです。
今年度は年間に開催する「駅からウォーク」で、 8回以上参加された方に完歩証の表彰を行い、贈呈品を差し上げます。 (年間完歩証チャレンジ実施中!)
今回は【吉浜駅】から水上助三郎翁像・真称寺・根白漁港を散策しました。 それでは、ウォーキングの様子をご紹介いたします。
盛駅を9時13分発の三陸鉄道へ乗車し、 目的地の吉浜駅には9時47分に到着しました。
この日は曇り空で運動するには良い陽気となりました。
駅前で休憩を取って準備体操した後は、各見どころを目指して出発!
歩き始めて約10分後【水上助三郎翁像】へ到着しました。 その前で、水上翁の養殖漁業や畜産業の功績だけでなく、 奨学金の支援など人材育成や飢餓で苦しむ方への食糧支援など、 素晴らしい人であったことを、三陸鉄道盛駅を運営している NPO法人夢ネット大船渡の岩城理事長が説明されました。
≪水上助三郎翁像≫ 銅像は、昭和37年12月に建立されました。 水上助三郎(1864年〜1922年)は郷土の偉人です。 製塩や短角牛飼育による普及、 のちに千島やアリューシャンのオットセイ猟、 松島湾のカキ・ウナギ養殖の成功、小壁漁場を開いて アワビの造殖やアワビ干鮑づくり、缶詰工場を経営。 ワカメ加工にも成功し、地元漁業の振興に尽力した方です。 他に、椎茸栽培の普及、国有林の払い下げによる 町民への配分も行いました。 また、吉浜村の飢餓等に対する多大な寄付、 唐丹村へ食糧援助、岩手県下凶作窮民救済、 全国(北海道・岩手・宮城・福島)の凶作・冷害に対して、 多額の寄付や米等の救済を行っています。 そして、水産講習所への奨学資金発起人、 吉浜小学校建築に尽力と寄付、盛小増築や末崎小建設への寄付、 岩手県育英会に多額の寄付、岩手県盲唖学校に寄付、 東北中学校20数名に奨学金送金などなど様々な活動に尽力され、 地元産業の基礎を築いたといっても過言ではありません。 それほど地元に貢献された偉人であり、功績を現代に伝えて 知っておくべき方だと思っております。
次に向かった先は【真称寺】です。
≪真称寺≫ 現在のお寺は1763年に建設(253年前)されたものです。 ここは400年以上の歴史のあるお寺になります。 1599年(417年前)と1600年代に火事が発生。 測量の伊能忠敬は、1801年(今から215年前)に 吉浜を計測しています。
今回は寺の歴史を聞く時間が少なく、 次回は時間を確保して住職さんの説明を じっくり聞くことにしました。
ここのお寺には、 大船渡市指定有形民俗文化財の『七條袈裟』があります。 真称寺の初代順覚が着衣されたものといわれ、 約450年も前から保存されています。
次は【根白漁港】へ向かいました!
ここは休憩所も兼ねて立ち寄り、 漁港では漁民の皆さんが小さなホタテ貝をカゴへ入れる作業中でした。
≪根白漁港≫ モットーは“釣れない時はとことん頑張る!釣れる時もとことん頑張る!”。 吉浜湾周辺の漁業はカレイ、ヒラメ、アイナメ、イカ、メガラ、タラの宝庫。
帰り道で、根白漁港から上がってくる道路側に、 津波の到達地の表示板を発見しました。 ここまで津波が遡上したと知り、とても驚きました。
季節は秋です。萩が美しく色鮮やかに咲いていました♪ 自然の季節を感じられるのも歩いて気付く魅力ですね!
吉浜駅を背景にして記念の集合写真を撮影! 桜模様のラッピングで、とても可愛らしい駅舎♪
12時25分に吉浜駅を出発した列車に乗車して、 盛駅には12時58分に到着しました。 これにて『第38回 三鉄 駅からウォーク』は終了となりました。 参加された皆様は心地よい汗を流し、吉浜駅から根白漁港までの 往復約6キロのウォーキングを楽しまれました。 ご参加ありがとうございました!






第35回 三鉄 駅からウォーク  平成28年5月7日


5月7日の土曜日に『第35回 三鉄 駅からウォーク』を開催しました。
参加費は往復乗車券代と保険代で750円で行いました。
24名が参加されました。ありがとうございます!
沿線の史跡巡って地元の魅力を再発見や健康増進、
三陸鉄道の利用促進などを目的に開催しています。

今年度は年間12回開催する「駅からウォーク」で、 8回以上参加された方に完歩証の表彰を行い賞品を贈呈します。
今回は【吉浜駅】から、クマガイ草・津波記念石・ 津波記憶石(奇跡の集落碑)・石川啄木の歌碑・新山神社・ 正壽院を散策してきました。
小雨が降っている中で開催しました。 盛駅を9時13分発の三陸鉄道へ乗車。 目的地の吉浜駅へは9時47分に到着。
駅前で準備体操後、 雨の中をクマガイ草を見に小松低へとウォーキング開始!
小松宅ではご夫婦の出迎えを受けて、 クマガイ草の咲く家裏へと案内されました。
私達を歓迎し、訪れるのを待っていたかのように、 クマガイ草が一面に咲き乱れていました。
「くまがい草」とは、ラン科アツモリソウ属に分類される 多年草の1種。大きな花をつけ、扇型の特徴的な葉をつけます。 名前は、膨らんだ形の唇弁を昔の武士が背中に背負った 母衣に見立て、がっしりした方を熊谷直実に、 優しげな姿の方を平敦盛にあてたものだそうです。 花色がそれぞれ白、赤っぽいため源氏の白旗、 平氏の赤旗に見立てたための命名ともいわれています。
参加者全員が「素晴らしい…♪」と 雨にもかかわらず、しばし見惚れていました。 つつじもキレイに咲き、庭木も美しく素晴らしかったです!
120年の古民家の縁側には、小松家ご夫妻が、 コーヒーと山菜しどけのおひたし、がんづきもご用意されており、 こちらが恐縮してしまうほどの接待を受けました。 心温まるお気遣いありがとうございました!
次の目的地を目指して歩いていると朝から降っていた雨がやみました!
見どころである『津波記念石』まで約30分ほどかかりました!
昭和8年3月3日に発生した【昭和三陸大津波】の際、 200m先の海岸から打ち上げられた約30トンの石。 津波の恐ろしさを伝えるため、石に文字を刻まれました。 文字は「昭和八年三月三日ノ津波デ…重量八千貫」と書かれています。 その後、耕地整地の道路工事などで埋められてしまいましたが、 今回の東日本大震災の発生により、津波で地表に顔を出しました。 再び津波の恐ろしさを伝えようと保存活動が進められています。
その30トンもある津波記念石の大きさ、存在感に驚かされました。
次は「石川啄木の歌碑」をご覧になりました。駅から徒歩10分の場所にあります。
歌碑:「潮かおる 北の浜辺の 砂山の かの浜薔薇よ 今年も咲けるや」 岩手の生んだ天才歌人石川啄木は岩手県盛岡中学校三年の時、 明治33年(1900年)担任の富田小一郎先生に引率されて修学旅行に出発。 7月18日盛岡駅に集合し、一関、千厩、気仙沼、高田、大船渡、盛、 越喜来を経て7月24日、吉浜に到着されました。
そのすぐ隣にある「津波記憶石(奇跡の集落碑)」では 記念写真を撮影しました!
そして「新山神社」と気仙27番札所の「正壽院」を見学。
<新山神社>
<正壽院>
歩くことで普段では気付かない 季節の移り変わりがあり、嬉しい発見もあります!
様々なお花が咲き、その美しさを鑑賞することができました♪
吉浜駅を12時25分出発の三陸鉄道へ乗車。
途中の『恋し浜駅』で3分間ほどの停車がありました。 ここは恋愛のパワースポット! ホームにある「ホタテ絵馬」をご覧になり、 「幸せの鐘」を鳴らされて記念写真を撮影されるなど ちょっとした観光スポットを楽しまれていました♪
盛駅には12時58分に到着して「駅からウォーク」は終了となりました。 ご参加ありがとうございました!






第30回 三鉄 駅からウォーク  平成27年12月12日


12月12日の土曜日。
この日は『第30回 三鉄 駅からウォーク』を開催しました。
今回は、吉浜駅から水上助三郎翁像や根白漁港を散策するコース!
昼食と飲物持参で行いました。参加費は700円で
往復乗車券と保険代になります。今回は13名がご参加されました!

昨日の大雨から今日は快晴になり、 絶好のウォーキング日和となりました! 列車の車窓からの眺めはとても気持ち良かったです!
盛駅を11時00分出発の三陸鉄道へ乗車。
途中「恋し浜駅」で3分間の停車があり、 待合室にある約25000枚のホタテ絵馬をご覧になりました。 ここは恋愛のパワースポットです!
目的地の吉浜駅には11時32分に到着。 駅前広場で準備体操を行ってからウォーキング開始です!
12時頃、水上助三郎翁像へ到着!
<水上助三郎翁像> 昭和37年12月に建立されました。 水上助三郎(1864年〜1922年)は、 製塩や短角牛飼育、のちに千島や アリューシャンのオットセイ猟、 松島湾のカキ・ウナギ養殖の先鞭をつけ、 小壁漁場を開いてアワビの造殖、 缶詰工場を経営。ワカメ加工にも成功し、 地元漁業の振興に尽力した偉人です。
水上助三郎翁像と忠魂碑の前で昼食にしました。
すぐ隣にはがいました。 鳴き声を聞きながらの昼食!
12時30分後頃に食事を終え、 沿道のの実を見ながら「もったいない」と 話しながら歩きました。
いまだ木に成ったままの柿の実です。
まだまだありましたね!
次のみどころ「根白漁港」には13時10分頃に到着しました。
<根白漁港> 東日本大震災以前にも、 三陸地方は明治29年(1896年)と 昭和8年(1933年)に大津波に襲われています。 吉浜地区も、明治三陸大津波では 全87戸のうち35戸の家屋が流され、 村外の旅行者を含めて210人もの命が喪われました。 村民でいえば、全住民の約20%が犠牲になりました。 そこで、当時の新沼武右衛門初代村長が決意したのは、 集落の高台移転でした。家だけでなく、 道路も墓地も全てを高台に移転させました。 移転先の土地の確保のために、 村長は私財も使ったとされています。 「新沼村長の企画力や実行力、そして村長への 村民の絶大な信頼がなければ、集団移転は 成し遂げられなかった」と語られています。
ここで休憩時間を取り、一息ついたところで、 帰りは急ぎ足で歩きました!
吉浜湾はとても雄大で美しい姿をしています。
吉浜駅へは出発時間の15分前に着き、 慌てて記念写真を撮影することとなりました!
参加者は帰りの列車内で、「今日はよかった」 「しばらくぶりで歩いたような気がする。 汗もかいたし、仲間とも笑うことが出来、 心身ともリフレッシュできた。 次回も参加したい。」 と車内で会話しながら皆様、 満足な表情をされていました♪
ご参加ありがとうございました!






第24回 三鉄 駅からウォーク  平成27年5月16日


5月16日の土曜日。『第24回 三鉄 駅からウォーク』を開催しました。
参加費は750円で往復乗車券代・保険代になります。
今回は【吉浜駅】から古民家の小松邸と
大船渡市の震災遺構である津波記念石までのウォーキング。
参加人数は8名でした。ご参加ありがとうございます。

11時に盛駅出発の三陸鉄道に乗車。 吉浜駅には11時32分に到着し、最初の目的地へと歩き出しました。
「古民家・小松邸」へ到着! ご夫妻が出迎えてくださいました。ありがとうございました。 ここには見事な「くまがい草」が生息しています。 最盛期は過ぎて終わったと言いながらその群生は見応え充分!
感動するほど、たくさん花を咲かせていました!
「くまがい草」とは、ラン科アツモリソウ属に分類される 多年草の1種。大きな花をつけ、扇型の特徴的な葉をつけます。 名前は、膨らんだ形の唇弁を昔の武士が背中に背負った 母衣に見立て、がっしりした方を熊谷直実に、 優しげな姿の方を平敦盛にあてたものだそうです。 花色がそれぞれ白、赤っぽいため源氏の白旗、 平氏の赤旗に見立てたための命名ともいわれています。
吉浜駅舎で昼食をとる予定でしたが、 家主に勧められ、古民家の庭で昼食をいただくことになりました。 天気もよく景色を眺めつつ会話も弾み、 談笑しながら持参のおにぎりなど召し上がりました♪
小松さんへお礼のご挨拶して12時半頃、 見応えのある大きくて立派な古民家を後にしました♪ ご協力ありがとうございました!
道の途中、キングサリの花が見事に咲いていました! 藤の花に似ていますね!
次は大船渡市の震災遺構「津波記念石」へと向かいました。
昭和8年3月3日に発生した【昭和三陸大津波】の際、 200m先の海岸から打ち上げられた約30トンの石。 津波の恐ろしさを伝えるため、石に文字を刻まれました。 文字は「昭和八年三月三日ノ津波デ…重量八千貫」と書かれてあります。 その後、耕地整地の道路工事などで埋められてしまい、 今回の東日本大震災の発生により、津波で地表に顔を出したものです。
津波記念石の前で記念写真を撮影しました!
その後に出発し、被災地の嵩上げ工事や 防潮堤の建設現場の横を通って吉浜駅へと歩きました。
また、吉浜駅と津波記念石の中間地点にある 「津波記憶石 奇跡の集落」もご覧になり、ここで休憩をとりました。
その隣には「東日本大震災津波記念碑」があります。 吉浜中学校生の生徒たちが「わたしたちにできること」について案を出し、 その一つとして、記念碑を建立することになりました。 テーマは「1000年後に伝えよう、大震災のこと、吉浜のこと」。
小さな碑には支援者の一覧を、大きな碑には、 生徒らが「きせきのしゅうらく」の文字それぞれを頭文字にして 未来の住民へのメッセージを刻まれた記念碑になります。
まだまだ復旧工事中の被災地です。
可愛らしい吉浜駅舎♪顔に見えます!
14時15分、吉浜駅出発の三陸鉄道へ乗車!
盛駅へ15時02分に到着し、イベントは終了となりました。 ご参加ありがとうございました!






第17回 三鉄 駅からウォーキング  平成26年9月13日


9月13日の土曜日。この日は『第17回 三鉄 駅からウォーキング』を開催。
今回は、吉浜駅からウォーキングを行い、津波記念石を往復しました。
参加費は往復乗車券・保険代として700円。
参加人数は、13名。ご参加ありがとうございました。

盛駅を11時の三陸鉄道に乗車して出発! 途中「恋し浜駅」にて3分間の停車。待合室に吊るされている 「ホタテ絵馬」をご覧になられたり「幸せの鐘」を鳴らされたり♪
車窓からは、津波により破壊された防潮堤の解体が終わり、 そこに重機が入って工事が進められている場面が見えました。
吉浜駅には11時34分に到着!可愛らしい駅舎の前で準備体操を行いました! 11時55分にはウォーキングを開始!
キレイに咲いているの花を見かけました!秋の季節を感じますね♪
復旧・復興工事は、震災から3年6ヶ月が経過した今でも行われています。
吉浜地区の田んぼは、このように稲穂が頭を垂れていました。 お米の収穫も、もうそろそろですかね♪案山子も発見!
12時25分頃「津波記念石」に到着しました。
<津波記念石> 「昭和八年三月三日ノ津波デ…重量八千貫」と文字が刻まれています。 重量は約30トン。昭和8年3月3日に発生した 【昭和三陸大津波】の際、200m先の海岸から打ち上げられたと判明。 津波の恐ろしさを後世に伝える為に事実を文字で刻み、 現代へと残された津波記念石。 その後、昭和50年代に行われた道路工事により埋没。 それが平成23年3月11日に発生の東日本大震災により再び地表に現れました。」
石に刻まれている文字の一部。
その後、昼食の時間にしました。海を見ながら野外でのお食事です。 それぞれ持ちよってきた「カステラ」「漬物」「お菓子」「リンゴ」を、 全員に配ったり交換したりと、ちょっとしたピクニック気分♪
次は「石川啄木の歌碑」…の場所に来ましたが、 歌碑がどこかへ移動されている様子…。そこには案内だけがありました。
一応ご説明しますね。 <石川啄木の歌碑> 「潮かおる 北の浜辺の 砂山の かの浜薔薇よ 今年も咲けるや」。 岩手の生んだ天才歌人石川啄木は岩手県盛岡中学校三年の時、 明治33年(1900年)担任の富田小一郎先生に引率されて修学旅行に出発。 7月18日盛岡駅に集合し、一関、千厩、気仙沼、高田、大船渡、盛、 越喜来を経て7月24日、吉浜に到着しました。」
その近くには、吉浜で新しく建立された石碑があります。 平成26年3月25日に除幕された吉浜津波記憶石「奇跡の集落」です。
<吉浜 奇跡の集落>
「平成二十三年三月十一日に発生した大津波により、 当地区では行方不明者一名、老人ホーム「さんりくの園」(越喜来)での 犠牲者は十一名にも上がりました。
また、民家四戸が被災し、漁協事務所や倉庫、養殖筏、 定置網の資材等、漁業関係施設は潰滅、沖に避難した十一艘を残して 三百艘の船を流失しました。吉浜海岸の防潮堤は倒壊して、 沖田川原耕地の表土が流され、耕作不能となりました。

しかしながら、この吉浜地区内の被害は他所と比較して 軽微であったことから、内外の報道機関に「奇跡の集落」と呼ばれ、 最も被害の少ない集落として注目されました。 今回、吉浜での被害が少なかったのは、明治三陸大津波で 大被害を受けた後、初代村長新沼武右衛門の先導によって 住居の高台移転が進められたことと、昭和三陸大津波の後にも 八代村長、柏崎丑太郎主導による耕地整理と 復興地を造成しての高台移転が徹底されたことによります。
ここに、亡くなられた方々のご冥福を祈るとともに、二人の村長と、 その教えを今日まで守り、徹してきた先人の偉業を顕彰し、 いっそう防災意識を「高め」「広め」「伝え」て、地元はもとより 他地域の災害による被害軽減にも役立つことを願ってこの碑を建立します。
平成二十六年三月十一日
吉浜地区津波記憶石建立実行委員会 全国優良石材店津波記憶石建立プロジェクト後援」
敷地には、津波到達地点の線が石に刻まれています。 その到達地点から海を眺めた景色を撮影してみました。
ここで記念写真を撮影!
この付近に、「石川啄木の歌碑」と、昭和三陸大津波の石碑「津波の追憶」が 置かれていました。場所を新たに設置する作業の途中のようでもありました。
そして「新山神社」へ移動。ここの鳥居は、 昭和8年に発生した「昭和三陸大津波」により、 東へ10mほど流された神社になります。 石碑「津波の追憶」にもその様子が刻まれています。
近辺にあるお寺「正壽院」にも立ち寄り、休憩を取りました。 ここには、明治三陸大津波の犠牲者供養碑があります。
道の途中には、旧郵便局の古き良き趣きのある建物がそのまま残っています。 写真を撮りたくなる…そんな魅力のある素敵な佇まいで、 大正時代を感じることができます♪
14時過ぎに、吉浜駅へ戻ってきました。 駅舎の中には、昨年4月の部分開通記念イベントにて非常勤駅長を務められた 「志村けん」さんがいます。
14時35分に吉浜駅を出発し、盛駅には15時8分に到着! ご参加、ありがとうございました!
感想を伺いましたので、ご紹介します。
「大満足です!初めて参加しましたが、みんなと溶け込めて、 楽しくウォーキングすることができました。」
「初めて参加しました。ちょうど良い距離で、 たいへん楽しかったです。またの機会をみて参加したいです。」






観光情報:吉浜駅の周辺  平成26年8月17日


三陸鉄道南リアス線沿線の『観光情報』をお届けします。
今回は、『吉浜駅の周辺』をご紹介します。

<吉浜駅> ネスレ日本株式会社の支援企画『キット、ずっとプロジェクト』の一環 “願いのメッセージアート”で装飾された可愛らしい駅舎。
平成25年4月3日に三陸鉄道南リアス線が「盛−吉浜」で部分的に運行再開。 「三陸鉄道南リアス線運行再開記念イベント」が各駅で催され、 吉浜駅では志村けんさんが非常勤駅長に就任し、一日駅長を勤められました。 駅舎の中には「志村箱」「志村けん駅長等身大パネル」 「4月3日に志村駅長が着用した制服一式」「辞令書」の4点が設置・展示。
「志村箱」 三陸鉄道、志村駅長へのご意見ご要望をお書き下さい。
外には、大船渡市三陸町吉浜の観光案内図があります。
<津波記念石>
駅から徒歩45分。 「昭和八年三月三日ノ津波デ…重量八千貫」と文字が刻まれています。 重量は約30トン。昭和8年3月3日に発生した【昭和三陸大津波】の際、 200m先の海岸から打ち上げられたと判明。津波の恐ろしさを 後世に伝える為に事実を文字で刻み、現代へと残された津波記念石。 その後、昭和50年代に行われた道路工事により埋没。 それが平成23年3月11日に発生の東日本大震災により再び地表に現れました。
<旧郵便局> 駅から徒歩5分の場所には、古き良き趣きのある素敵な建物が今も残っています。 撮影したくなる…そんな魅力ある佇まいで、大正時代を感じることができます。
<石川啄木の歌碑>
駅から徒歩10分。 「潮かおる 北の浜辺の 砂山の かの浜薔薇よ 今年も咲けるや」 岩手の生んだ天才歌人(詩人)石川啄木は、岩手県盛岡中学校三年の時、 明治33年(1900年)担任の富田小一郎先生に引率されて修学旅行に出発。 7月18日盛岡駅に集合し、一関、千厩、気仙沼、高田、大船渡、盛、 越喜来を経て7月24日、吉浜に到着。
<津波の追憶> 石川啄木の歌碑の近く。 「昭和三陸大津波 昭和8年3月3日3時15分襲来  新山神社参道入口の鳥居が第2波により被災。 津波の恐ろしさを生々しく物語り、残骸として此処に鳥居の一部が存在する。 (鳥居跡地はこれより東10mの位置) 現在地における津波遡上高は碑頭により3m上と追想される。 薄らいでいく津波の教訓を、後世に引き継ぐ、 昭和三陸大津波追憶碑を此処に建立する。平成20年5月24日」
<新山神社> 駅から徒歩10分。昭和8年3月3日に発生した 「昭和三陸大津波」の際に被災し、鳥居が10m流されました。
境内には「天皇陛下御即位二十年記念植樹」の椿があります。
<吉浜は、被災者の少なかった地域> 「この地域は1400人の方々が住んでおりますが、 今回の東日本大震災で犠牲になられたのは1名だけです。 家屋の倒壊も4棟だけと、被害がほとんど無かった地域です。 これも、明治29年(約2割の人が犠牲)の津波の被害から、 明治29年当時の村長が、私財を投じて被災地を買い上げ、 山を切り崩して代替地を整備し、住民を移転した結果、 昭和8年の津波では死者17名だけになりました。 高台移転に反対者もあった中で、 村長の強力なリーダーシップで実現した地域です。」
三陸鉄道南リアス線をご利用の際、 吉浜駅で降りて、駅の周辺を散策してみるのもよいですね。
ここには、昭和8年3月に発生した『昭和三陸大津波』の記念碑が 多く存在しています。過去の津波被害から未来へ向けて 吉浜地区を守ろうとする強い意志を感じます。
<奇跡の集落>
「平成23年3月11日に発生した大津波により、 当地区では行方不明者1名、民家4戸が被災し、 漁協事務所や倉庫、養殖筏、定置網の資材等、 漁業関係施設は潰滅、300艘の船が流失。 吉浜海岸の防潮堤は倒壊して、沖田川原耕地の 表土が流され、耕作不能となりましたが、 この吉浜地区内の被害は他所と比較して軽微であり、 内外の報道機関に「奇跡の集落」と呼ばれ注目されました。 今回、吉浜での被害が少なかったのは、明治三陸大津波で 大被害を受けた後、初代村長新沼武右衛門の先導により 住居の高台移転が進められ、昭和三陸大津波の後にも 八代村長柏崎丑太郎主導による耕地整理と復興地を 造成しての高台移転が徹底されたことによります。 亡くなられた方々のご冥福を祈るとともに、二人の村長と、 その教えを今日まで守り、徹してきた先人の偉業を顕彰し、 いっそう防災意識を「高め」「広め」「伝え」て、 地元はもとより他地域の災害による被害軽減にも 役立つことを願ってこの碑を建立します。 平成26年3月11日」






吉浜駅に志村けんさん。  平成25年6月22日


平成25年4月3日に三陸鉄道南リアス線「盛−吉浜」間の部分的ではありますが運行を再開しました。

その日は「三陸鉄道南リアス線運行再開記念イベント」が行われました。 イベントは各駅で催され、吉浜駅では志村けんさんが非常勤駅長に就任し、 一日駅長を勤められました。
吉浜駅は無人駅になります。 現在はその駅舎の中に「志村箱」「志村けん駅長等身大パネル」 「4月3日に志村駅長が着用した制服一式」「辞令書」の 4点が設置・展示してあります。
<等身大パネル> 志村駅長と記念写真を撮りましょう!
<4月3日に着用した制服一式> 三陸鉄道の制服です。もちろん名札もあります!
<辞令書> 4月3日に志村駅長へ交付した辞令
<志村箱> 三陸鉄道への意見、志村駅長への意見など志村けん駅長が目を通します。
三陸鉄道南リアス線にご乗車し、 吉浜駅で下車される方は、ご覧になってください。
そして「志村箱」にご投稿してみてはいかがでしょうか。
吉浜駅のみどころの一つですね!






第7回 三鉄 駅からウォーキング  平成25年10月19日


10月19日の土曜日。この日は「第7回 三鉄 駅からウォーキング」を
開催しました。今回の駅は、吉浜駅です。参加費は700円で
保険料・乗車券代になります。参加人数は16名。

【盛駅】から11時30分発の三陸鉄道南リアス線に乗り【吉浜駅】を目指します! 12時4分に到着。その後、休憩を軽くとり、準備体操を行いました。
吉浜駅からのウォーキングは、石川啄木の歌碑と津波記念石を散策します。 12時25分頃、大船渡市三陸町吉浜を歩き始めました。
道の途中には『旧郵便局』の古き良き趣きのある素敵な建物が見えてきました! 写真を撮りたくなる…そんな魅力ある佇まいで、大正時代を感じますね。
思わず立ち止まった場所。現在、浸水地域は盛り土を行って高くしています。 その光景を眺めている様子ですね…。重機がたくさんあり、工事が行われています。
【石川啄木の歌碑】 このように歌われた歌碑が建立されています。 「潮かおる 北の浜辺の 砂山の かの浜薔薇よ 今年も咲けるや」
「岩手の生んだ天才歌人(詩人)石川啄木は、 岩手県盛岡中学校三年の時、明治三十三年(1900年)担任の 富田小一郎先生に引率されて修学旅行に出発しました。 7月18日盛岡駅に集合し、一関、千厩、気仙沼、高田、大船渡、盛、 越喜来を経て、7月24日この地、吉浜に到着しました。 以下級友船越金五郎氏の日記「旅の跡」をご参照ください。」
その近くには、昭和三陸大津波の石碑がありました。
「津波の追憶  昭和三陸大津波 昭和8年3月3日3時15分襲来 新山神社参道入口の鳥居が第2波により被災、津波の恐ろしさを 生々しく物語り、残骸として此処に鳥居の一部が存在する。 (鳥居跡地はこれより東10mの位置) 現在地における津波遡上高は碑頭により3m上と追想される。 薄らいでいく津波の教訓を、後世に引き継ぐ、 昭和三陸大津波追憶碑を此処に建立する。平成20年5月24日」
ここから浸水域である低い地…現在工事が進んでいる場所を歩きました。
途中で、仮設の橋を渡りましたが、流れている吉浜川で鮭の遡上を発見! 岩の間を通り抜けようと一生懸命泳いでいました。
そしてついに到着!【津波記念石】
「昭和八年三月三日ノ津波デ…重量八千貫」と刻まれています。
1貫が3.75kgですので、約30トンの重量になりますね。 この石が、昭和8年に起きた【昭和三陸大津波】の際、 200m先の海岸から打ち上げられたと判明。 その後、昭和50年代に行われた道路工事により埋没。 それが東日本大震災によって再び地表に現れたのです。
津波の恐ろしさを後世に伝える為、 このように事実を文字で刻み、現代へと残されたのです。 この30トンの石をも動かす津波の威力…凄いですね…。
説明が終わり、砂浜で休憩を取りました。 平たい石を使って「水切り」して遊ばれる方、綺麗な石を拾って集めている方など 自由な時間を過ごしました。震災後、海にここまで近づいたのは初めてです。 そのような方も多かったですね…。うみねこは日向ぼっこ状態!
ここで全体の記念写真を撮影。
この辺りは重機が多く、破壊された防潮堤を多く見かけました。 そして高台にするため盛り土を行っていましたね。 また、そこに防風林を置くための工事のようです。
【吉浜地区】の被災状況をご説明します。 <被災者の少なかった地域> 「この地域は1400人の方々が住んでおりますが、 今回の東日本大震災で犠牲になられたのは1名だけです。 家屋の倒壊も4棟だけと、被害がほとんど無かった地域です。 これも、明治29年(約2割の人が犠牲)の津波の被害から、 明治29年当時の村長が、私財を投じて被災地を買い上げ、 山を切り崩して代替地を整備し、住民を移転した結果、 昭和8年の津波では死者17名だけであった。 高台移転に反対者もあった中で、 村長の強力なリーダーシップで実現した地域です。」
休憩が終わり、吉浜駅へと歩き出しました! 途中で「津波の追憶」の石碑に名前があった「新山神社」に立ち寄りました。 「昭和三陸大津波」の際は鳥居が流されたとのこと。 ちょっと高い場所にありますが、津波が押し寄せたことになりますね。 ちなみに、そこには「天皇陛下御即位二十年記念植樹」の榊がありました。
帰り道、柿の実と椿の実を発見!秋ですね♪
14時10分、吉浜駅へと戻ってきました! 跨線橋を上り、まだ開通していない釜石方面への線路を見て、 それぞれ感じることがあったみたいですね…。
14時30分、参加者は三陸鉄道南リアス線に乗車し、15時5分に盛駅に到着。 これにて『第7回 三鉄 駅からウォーキング』が終了となりました。
地元の魅力を再発見して頂くため、史跡や記念碑、名所や観光地などを見ながら 健康作りも兼ねたウォーキングです。会話のできるペースで歩くのも 好評のようですね。歩くことで気付くことも多いのですよ! ご参加くださいまして、ありがとうございました!



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NPO法人夢ネット大船渡 三陸鉄道盛駅舎利活用事業

岩手県大船渡市盛町字東町裏16番地



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